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ゆっくり考える

心理学を勉強していると、”人はついこう考えてしてしまうものだ”というのがよく出てきます。

とある状況に遭遇すると高い確率で、似たような、固定されたものの考えを決まってするというものです。

つまり、思い込みとか、先入観とか、偏見とか、極端な例はそんな感じです。

で、何が言いたいかというと、人はゆっくり考える時と、シュッとほぼ無意識的に考えを持つ時とでは、違う考えを持ちうるということです。

内向型は常に刺激的な環境にいなくても静かにして退屈しない気質だと思います。

ならば、ゆっくり考えるという選択肢も持ちやすいと思うのです。

シュッで無意識的に得た考えは人間らしいものだろうし、頭の良い人ならそれでも満足の行く考えが浮かぶものかも知れません。

でもあえてそれを、面倒くさがらずにゆっくりと考え直してみる。そうすることで違う何かが見えてくるかも知れないのです。

愛される新入社員

今、朝ドラのヒロインが新入社員として頑張っているので、”愛される新入社員”
ってどんなのだろうか?と考えてみました。

自分がどうだったかはすっかり棚に上げて言うと、基本的に「新入社員は愛されないもの」と思っていいような気もします。

どういう事かと言うと、こちら側の本音としては、暇だったら目一杯かまってあげて好かれたいし、忙しい時は存在自体が辛い。

好かれたい気持ちはあるけれど、新入社員がいなかったら仕事はもっと楽なんだけどな・・・という身勝手さ。

そして重ね重ね勝手ながら、かまってもらえなかったり、厳しいことを言われて冷たくされても、いちいち気にしないで欲しい。

あとは、”先輩や上司がカラスが白いって言ったら白いのよ”ばりに、とりあえず意味はわからなくても言う通りして欲しいのです。会社は集団行動なので複雑な事象がいくつもあり、無意味に思えることがあってもそれなりに意味があり、それをいちいち新人に説明するのは難しいものなのです。(加えて厳しいことを言うようですが、言われた通りにも出来ないのに、一体何が出来るというのだろう・・・という考え方は確実にある気がします)

内向的とか関係なくなってますが、とりあえず新人さんに幸あれ。

疲れる・・・

内向的=疲れやすい

この考えで色んなことを解釈してきましたが、果たしてそんな単純でいいのか?ということを考えてみました。

まず、何をして”疲れ”とするのか。

夜起きていられない。食欲がない。もしくは異常に食欲がある。集中力がない。
身体的疲れ、精神的疲れ、両方の疲れ。

状況により疲れは増しやすく、逆のこともあるでしょう。

原因が2週間前に心当たりのあることだったり、ここ数週間はずっと忙しかったり、不慣れなこと続きだったり、何か自分にとっての事件が発生していたり。

”疲れ”そのものが何かをはっきりさせるのも難しいですが、それの原因を解明するのも難しそうです。

内向的だと、確かに色々なことに圧倒されて疲れやすいかも知れない。だから、疲れやすいから体力がないとしょんぼりするのは気が早いです。でも、内向的だからいつも疲れている、というだけじゃ疲れの理由にはならないのです。

疲れを癒すには素直に休むこと。そして、内向的なら例えば外出してはしゃぐより静かにしていたほうが休めること。

そういう事は意識していたほうが良いけれど、何でも気質のせいにしていては他のことを見落としてしまいそうです。

客観的にものを見ることのむずかしさ

モデルさんや女優さんを見ていると、いつも口角があがっていて笑顔に見えます。
そのお顔は本当に幸せそうでうらやましいなあと思います。

ですが、自分のこととなるとなかなか意識できない。

あからさまにしかめ面をしているくらいは自分でも気がつきますが、たいていはどんな顔をしているか想像すらしていません。

客観的にものを見ようとする時、そこには必ず自分がいます。
そこにいる自分がどんな顔をしていて他の人からどう見られているか?がわかれば少しは場のこともわかる気がします。

でも自分の顔すら想像できない。

物事を客観的に見てごらんとよく言いますが、実際には相当むずかしい。内向的なら尚更、というこになるかも知れません。でも、いま自分はどんな顔をしているだろう?ということが意識できれば少しは変わるかも?

思い込むとうまく行かない

何かでうまく行かない時、内向的だから無理だよなぁ・・・と思ったことはございますでしょうか?

管理人は体力がないことと感情に振り回されがちなために物事がうまく行かないと感じることが多いのですが、内向的だからと思ったことはあまりありません。

しかし物事がうまく行かない時というのは、思う以上にいろんなことが絡んでいるものです。うまく行かない原因はひとつではないし、結構複雑です。

そうなると”内向的だから・・・”と思い込むだけだったら、いつまでも真実にたどり着けません。

探偵さんになったつもりで、なんでうまく行かないのかしら?とよくよく考察してみてください。もしかしたら、いつの間にかうまく行くこともあるかも?

記憶の捏造?

みなさんは、身に覚えはないが何故か記憶にある、というような経験がございますでしょうか?

心理学においていろいろな研究をするひとがいるようで、記憶の捏造についても実験したひとがいるそうです。

その実験では、お兄さんから”お前が小さいころ迷子になった”と言われて、”覚えていない”と一旦は答えた弟が、次に迷子になった経験について尋ねられると、迷子になった時の事を具体的に説明し始めたのだとか。

この実験、実はお兄さんが心理学の学生で、弟に言って聞かせたような迷子の経験はないというものだったそうです。

お兄さんという信頼のおける情報源に、それらしい情報を与えられた弟は迷子の記憶を勝手に作ってしまったというのです。

ちなみに、想像力が豊かなひとの方が記憶の捏造をしやすいそう。

内向的だと想像力も多少豊かのように思います。気をつけた方がいいかも?

好き嫌いの正体

今回の記事は内向的かどうかとあんまり関係ありません。心理学的ですらありません。管理人のただの持論です。

学校へ行ったり、働いていたりすると、好きなひとと嫌いなひとができるものではないかと思います。それは、友情とか恋愛とかの限定したものじゃなく、このひと好きだなとか、嫌いだとかそういう素朴な感情のことです。

そういう好き嫌いの感情には、たいてい理由がくっついていると思うのですが、それを他人から聞かされるのはまあまあの苦痛です。

というのも、その理由が覆される何かが起こっても簡単には好きが嫌いになったり、嫌いが好きになったりしないからです。

好き嫌いは簡単に理由付けできるものではなく、感情によって説明すれば一言で済むものを、長々と理屈で説明されるので他人から聞くそれは苦痛なのではないかという気がするのです。

要は、好き嫌いは理屈では説明しがたいのです。その人の事は、何を取り繕ったって嫌いだし、どんな悪事を働こうとも好きなのです。逆に言えば、嫌われているからといちいち深刻になったり、好かれているからと高飛車になるのは、あまり適当ではないということです。

そのなかで気をつけないといけないのは、「好かれようと気にかける」のは”気遣い”の一種だと言うことです。嫌われていて、それを覆せないなら何をしてもいいというのは間違いだと思うのです。

言い方に気をつけて!

社交下手と口下手が常にイコールとなるかどうか私にはよくわかっていないのですが、社交とものの言い方が密接に関わるということぐらいはわかります。

同じ内容でも言い方ひとつで相手の感じ方、感情は変わってくるもの。
それに、内向的だと社交センスを磨くのにはかなり時間がかかりそうなので、とりあえず先にものの言い方に気をつけるべきでしょう。

「いらない」と言うのではなく、「なくても大丈夫」
「まずい」と言うのではなく、「おいしくはないね」
「ダサい」ではなく、「好きなひともいるかもね」

あまり言いすぎると気恥ずかしいのですが、口が悪いことで何か良いことが起きる、というものでもないのでお心当たりのある方は是非お試しください。

GWは去りぬ

以前は内向的であることをさも悪いことのように書かれるととにかく胸が痛かったのですが、今は必要以上にそう感じなくなりました。

いまはまだよく理解できていないけれど、内向型でも適度なバランスを保てるようになったせいかも知れません。

内向的との自覚があると、自分の人格についてどうしようもない部分とどうにかできそうな部分と少しだけ区別がつくような気がしたものです。

そして、そのどうしようもない部分を悪く言われている気がしたのでしょう。

心理学を勉強してわかったことですが、人格というのはかなり色々なことに影響をうけるようで、内向型か外向型かだけで形成されるものではありませんでした。
なので、最近は記事をどう書けばいいか悩むのですが、自分自身が「内向型である」ということをヒントにいろいろとわかって今に至ることに変わりありません。

GWで更新をサボってしまったのでリセットのつもりでこういう記事を書きました。
今後ともどうぞ宜しくお願いします。

外見に気を配る

気温が上がり暑くなってきました。猛暑というようなことはまだありませんが、半袖でも十分に過ごせる気温です。

衣替えもせねばなりません。冬物を洗濯してしまわねばなりません。

洗濯はおしゃれするのと同じくらい大事です。おしゃれをしたければ、同時に洗濯も頑張らねばなりません。

え?洗濯なんて面倒だしクリーニングはお金がかかるから嫌?

ならおしゃれをあきらめる他ありません。洗濯をきちんとしていない衣服を着用するくらいならダサい服を着ていた方が絶対に良いです。

内向的だと外見に気をくばることが苦手なこともあるかと思います。私もひとのことを言えたものではありませんが、”おしゃれ<清潔”は間違いないです。