好き嫌いの正体

今回の記事は内向的かどうかとあんまり関係ありません。心理学的ですらありません。管理人のただの持論です。

学校へ行ったり、働いていたりすると、好きなひとと嫌いなひとができるものではないかと思います。それは、友情とか恋愛とかの限定したものじゃなく、このひと好きだなとか、嫌いだとかそういう素朴な感情のことです。

そういう好き嫌いの感情には、たいてい理由がくっついていると思うのですが、それを他人から聞かされるのはまあまあの苦痛です。

というのも、その理由が覆される何かが起こっても簡単には好きが嫌いになったり、嫌いが好きになったりしないからです。

好き嫌いは簡単に理由付けできるものではなく、感情によって説明すれば一言で済むものを、長々と理屈で説明されるので他人から聞くそれは苦痛なのではないかという気がするのです。

要は、好き嫌いは理屈では説明しがたいのです。その人の事は、何を取り繕ったって嫌いだし、どんな悪事を働こうとも好きなのです。逆に言えば、嫌われているからといちいち深刻になったり、好かれているからと高飛車になるのは、あまり適当ではないということです。

そのなかで気をつけないといけないのは、「好かれようと気にかける」のは”気遣い”の一種だと言うことです。嫌われていて、それを覆せないなら何をしてもいいというのは間違いだと思うのです。