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暑くてだるい

皆さま、暑い夏をいかがお過ごしでしょうか。

夏はいろんなイベント、夏祭りやら花火大会やらがあっていいですよね。

とは言え、地元の夏祭りはあまり会いたくない昔の知り合いに出会う可能性あり、花火大会はキレイなんだけど音がうるさくて集中できない、野外フェスは本当に倒れそうになって医務室に行く羽目になるし、人が多くて割り込みの人に敵意を抱く始末・・・。

個人的にはそんなに楽しんではいない気がします。

内向型は冬が好きと本に書いてあったのですが、私には完全に当てはまります。

寒い中、帰宅した時の幸福感はあると思います。
冬で困るのは、洗濯物が乾かないことぐらいでしょうか。

早く涼しくなったらいいなと思いながら、毎日過ごしています。

早くも夏バテ

いきなりですが、管理人は早くも夏バテしてしまいました。
熱こそないものの、体がだるくふらついています。

振り返ると、先週はそうめんばかり食べていました。
そうめんは本当に美味しいですが、栄養はそんなにないみたいです。

内向型は独り言が多いイメージですが、実際にそれは当たっている気がします。
体がばてていると何となく独り言や弱音が多くなるものです。

もし、その弱音に周囲が反応してくれないなら、明らかに言いすぎです。
ばてて辛い時には酷かも知れませんが、そういう時は潔く黙りましょう。

では、皆さんもお気をつけて!

好き嫌いの正体

今回の記事は内向的かどうかとあんまり関係ありません。心理学的ですらありません。管理人のただの持論です。

学校へ行ったり、働いていたりすると、好きなひとと嫌いなひとができるものではないかと思います。それは、友情とか恋愛とかの限定したものじゃなく、このひと好きだなとか、嫌いだとかそういう素朴な感情のことです。

そういう好き嫌いの感情には、たいてい理由がくっついていると思うのですが、それを他人から聞かされるのはまあまあの苦痛です。

というのも、その理由が覆される何かが起こっても簡単には好きが嫌いになったり、嫌いが好きになったりしないからです。

好き嫌いは簡単に理由付けできるものではなく、感情によって説明すれば一言で済むものを、長々と理屈で説明されるので他人から聞くそれは苦痛なのではないかという気がするのです。

要は、好き嫌いは理屈では説明しがたいのです。その人の事は、何を取り繕ったって嫌いだし、どんな悪事を働こうとも好きなのです。逆に言えば、嫌われているからといちいち深刻になったり、好かれているからと高飛車になるのは、あまり適当ではないということです。

そのなかで気をつけないといけないのは、「好かれようと気にかける」のは”気遣い”の一種だと言うことです。嫌われていて、それを覆せないなら何をしてもいいというのは間違いだと思うのです。

GWは去りぬ

以前は内向的であることをさも悪いことのように書かれるととにかく胸が痛かったのですが、今は必要以上にそう感じなくなりました。

いまはまだよく理解できていないけれど、内向型でも適度なバランスを保てるようになったせいかも知れません。

内向的との自覚があると、自分の人格についてどうしようもない部分とどうにかできそうな部分と少しだけ区別がつくような気がしたものです。

そして、そのどうしようもない部分を悪く言われている気がしたのでしょう。

心理学を勉強してわかったことですが、人格というのはかなり色々なことに影響をうけるようで、内向型か外向型かだけで形成されるものではありませんでした。
なので、最近は記事をどう書けばいいか悩むのですが、自分自身が「内向型である」ということをヒントにいろいろとわかって今に至ることに変わりありません。

GWで更新をサボってしまったのでリセットのつもりでこういう記事を書きました。
今後ともどうぞ宜しくお願いします。

思い込みにさよなら?

内向型に限ったことではありませんが、思い込みはついついしてしまうものです。

ですが、思い込みをしている人に対して”思い込んでますよ”と的確に指摘するのは難しいもの。逆に言えば、思い込みで行動したり発言したりしてもひとから指摘してもらえないということです。

しかも、指摘されても素直にはなかなか聞けないもの。
指摘してもらいたい!という気持ちがあったとしても、です。

思い込みがもとで失敗したとはっきりわかっているなら、その思い込みはどうにかする必要があります。でも失敗したわけじゃないなら、そんなに思い込みを敵視する必要があるでしょうか?

管理人は子供の頃から思い込みが激しいと言われ続けており、内向的なせいなのか?と思わないくもないです。
じゃあそれで人生は台無しかと聞かれればそういうわけではありません。

思い込みに気づく時のさわやかな気持ち・・・というのはある気がしますが、自分はなぜこんなに思い込みが激しいのか?とむやみに悩む必要はあまりない気がします。

マイペースでなぜ悪い

内向型は外からの刺激を大きいものとして受け止めがちであるため、刺激の多数ある状況では疲れたり圧倒されたりしやすい気質です。

となると、なんとなくぼーっとして周囲の話を聞き逃してしまったり、自分の考えに没頭して会話にうまく入り込めなかったりしてしまいます。

そうすると時に協調性を保てずマイペースにもなりがちに・・・。
でもそれの何がいけないと言うのでしょう?

管理人も、マイペースが周囲に与える困惑についてや、社会性が高ければ高いほど得する気がするし、生きやすそう・・・といった理由からマイペースを脱しようといろいろ考えたり行動したりしましたが、結局のところ特にいいことはないように思いました。

それはどんな状況でも自分の疲れやすかったり、圧倒されがちな気質はどうしたって変わらないため、頑張って振る舞った分のしわよせが他に出ているように感じたからです。

でもそれはやってみたからこそ分かったこと。マイペースの何がいけないの?と、お感じの方はそのままでいいし、いや良くはないだろうと思う方は改善を試みてください。

安上がりでごめんなさい

私はyoutubeが大好きなのですが、他人がゲームしてる様子を毎日機嫌よくチェックしているのをして何て安上がりな趣味なのだろうと自覚せざるを得ません。

内向型がすべてそうとは限らないでしょうが、比較的感じやすい傾向を持っているらしいということは心理学研究において語られることではあります。

屋外で興奮するような体験をしないどころか、屋内で、しかも自分でゲームするならいざ知らず、それすらせずにPC画面を見て30分も手に汗握りうれしそうにニヤニヤ笑っていられる・・・。

たぶん私は、何十時間もかけてパリのルーブル美術館へ行き人混みの頭越しに見るモナリザより、子供向けの絵本にプリントされたそれに魅了されたまま何年も過ごせる人間です。

感じやすいと他人に信じてもらえない程にしばしばうちのめされたまま職場から帰宅する羽目になるのですが、ここまで安上がりだと自分の性質も悪くないと思えてくるものです。

備えあれば憂いなし

内向型は社交が得意でなくても、自分が興味を持っていることはスラスラと、それどころか周りがウンザリするくらいに話す。

これは内向型に関する書籍で目にする内向型の特徴のひとつです。

すべての内向型にあてはまるわけではないでしょうが、著者は自重をこめてそう書いたのでしょうし多少身に覚えもあるので気をつけてはいます。

しかし逆に先日、自分が興味を持っていることにどういうわけか関心を持ってくださる方がいて説明する羽目に。そして他人からの関心ありきで説明することなど考えていなかったので悔いの残る風にしか話せず。

せっかく興味を持って接する対象があるなら、ひとにどう説明すればいいか、説明する機会があるかどうかわからないけれど、自分なりにまとめておけばよかったなと思ったりしました。

実際にそうする機会がないならただの妄想になりかねないですが、自分の興味がどうやったらひとに伝わるのかを考えておくことは、人付き合いをする上で意外と大事なのかも知れません。

仕事について

管理人は営業事務をしています。

いろんなところから電話やメール、faxがきて順番に効率良く処理していかなければならない多少の忙しさを伴う仕事です。

仕事を与えられたらそれが急がない仕事なのか急ぐ仕事なのか判断して順番に処理していきます。時には今やっていることより新しくきた仕事のほうが急ぐ、ということもあり得ます。物事を中断するのを得意としない内向型という観点から言えば、向いてない仕事と言えます。

でも私はこの仕事が嫌いではありません。もちろん仕事(に限らず何でもそうですが)なので嫌なことは山ほど起こります。失敗もします。

星の数ほど失敗と成功を繰り返し、劇的ではないにしろ少しずつ自分が成長していく感覚が好きなのかも知れません。

就職で迷っているひとがいたらと思い、自分の仕事のことを書きました。
内向型に100%合う仕事などないような気はします。また仕事というものは誰かの為に何かをしてお金を貰うことです。そういうレベルの話からすればどんな仕事もやることは同じかも知れません。

読書のコツ

内向型は読書好き、というイメージがあるような気がします。たまたま読んだ内向型に関する書籍の著者が自分のことを読書好きとしているせいかも知れません。

当たり前ですが内向的かつ読書が好きというひとは間違いなくいます。しかしすべての読書好きが内向的なわけではありません。自分が考えたのではないことを読み続けるという行為はむしろ外向型に向いているような気すらします。

というのも管理人は読書が苦手です。

本に書いてある他人の考えと自分が感じていることが拮抗してなかなか読み進められない、書いてあることが理解できないということがしばしば起こるからです。

それでもその本をぜひ読みたいという気持ちがある時は、音読します。音読という行為は、自分の考えをひとまず置いて、書いてあることに集中させる働きがあるらしいのです。

ちょっと幼稚な行為のような気もしますが・・・。