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そいつはラッキー!

何となく周囲から浮いてしまって落ち着かない環境というのはあります。
ちょっとした発言に対する自分へのみんなの反応が冷たいとか。

そういう時、何て自分はダメな人間なんだろうとか協調性がないとか、つい自分を責めてしまうこともあります。

反対に会社も悪くないとか学校に行くのが楽しみとかそんな人もいると思います。

それって偶然にも、自分と気が合う人とか内向的な人が集まっているとか、そういうことだと思うんです。

そんな偶然てラッキー以外の何ものでもないと思いませんか?

うまく行かないことはたくさんあります。でもうまく行くこともある。

うまく行かなくてもすべてを自分のせいにしたりしないで、ましてや内向的だからと思ったりしないで、環境とかタイミングとか色々と原因はあるものです。

悩んでるならまずはこれ

内向的で、どうもことがうまく運ばない・・・と思っているなら、試すべきはまずこれです。

情報をシャットダウンする。

いろんなことがありすぎて頭がいっぱいになると疲れ切ってしまいます。
でもそれはいろんなことが起きていなくても同じなのです。

インターネットをずっと見ていたり、たくさんの人とおしゃべりしないといけない雰囲気だったり。

そういう時はスマホを置いて、もっと情報量の少ないものを見るように変える。
おしゃべりしなくてもいいような雰囲気の場所に身を移す。

そうやって情報をシャットダウン、もとい自分の心地よい情報量となるよう身を置く環境を変えるのです。

どうしたって情報量が多くなる状況はあります。就職活動だとか、試験前だとか。そういう時は焦らずに一歩一歩前進する他ありません。

疲れてしまっては、何事もうまく行かないものということです。

心の中は自由

昔、書店でアルバイトをしていたのですが、お客さんがひっきりなしにレジへやってくるというわけでもなかったので、長時間シフトが入っていると暇な時間もありました。その話を知人にすると「よく堪えられるね」とか言うから「心の中は何してても自由だから」と返すと、”は?”みたいなリアクションでした。

今にして思えば、サイキックな返事で怖いとわかるのですが、もしかしたら相手は「私なら退屈で堪えられない」と思っていたかも知れません。

そう考えると、内向的な人に向く職業というのは確かにありそうと思います。

静かで、じっくり考えたり、集中したりする時間が必要は仕事は、その類かも知れません。そういったことを退屈と思ってしまうなら勤まらないでしょう。

だからと言って暇な職場だとつまらない!ということはあります。また個人的には暇な職場にいると、社会人的感覚を養える機会が少なくなり、例えば忙しい人の気持ちが理解できなくなったりすると思っているので、あんまりおすすめしません。

先入観だけで志望先を決めるのではなく、とりあえず受けてみて、受け入れてくれたところに行くのも良いです。自分ではわからないくても、「この人ならやれそう!」と思って、雇ってくれることはあると思います。

自分の事を喋りすぎてしまう

内向型で社交が苦手だからと言って、日々誰とも喋らないで済ませられるかと言えば、そういうわけではありません。

仕事仲間、家族、友人、何かのつながりで知り合った人々。

一人でいても動画を見たり読み物を読みふけったり、絵を描いたり文章を書いたり・・・、十分楽しいからそれだけで暮らしていけそうなんだけれど、なかなか非現実的なものです。

充実した一人を過ごしてしまうと、人と一緒にいて”一人よりも楽しい!”と感じるのはなかなか難しい。となると、一人よりも楽しくなるべく、自分の興味のあることについてつい喋りすぎてしまう。

しかも、後で家に帰って一人になったらすることについて考えながら話してしまい、それすらも支離滅裂になることがある。

そこまで自分は酷くない・・と思われた方もいるかも知れませんので、その場合は聞き流してください。

しかし、もし心当たりのある方は、相手はなんとか話を合わせてあげたいと思う心の優しい方だと思いますので、その相手のことを大事に思うようにしましょう。

理想を言えば、”一人”と”一人ではない”という心の切り替えができれば、社交術も向上しそうな気がしますが、どうなのでしょうか・・・。

人に話すと楽になる

辛い経験をした時、それを話さずにいようとするとストレスになり心だけじゃなく体にも悪いそうです。

でも、辛い体験ってそんなにしょっちゅうあるわけじゃない。

それに自分の話はし慣れていないと、いきなり辛い話などできないもの。

内向型は社交が得意ではなく気が進まないかも知れないけれど、おしゃべりの練習は日頃からしたほうがいいと思うのです。

ちょっとしたつまらない気持ちでも、人に話すと思い込みに気がつきやすくなるし、逆につまらないことを話題にすることで、不要なまでの高い自尊心や過剰な自意識も少しは和らぎます。

ちなみに、自分の話というのは気持ちとか感じたこととかで、自慢話とかではありません。自分がどんな人間か相手に伝わってしまうようなことです。知識や知性をひけらかすのでもありません。

辛い話をしたい時のために備えるというのは変だけれど、自分のことを人に話す練習はすべきだと思います。

飲み会では静かに飲んでいてOK

内向型に自覚のある方はお分かり頂けると思うのですが、飲み会に参加すると周りが盛り上がってくるにつれて自分のテンションが下がる、集中力がなくなるということが起こります。

普段は静かにしている人が、お酒が入っていつも言わないことを言ったりしているのを目の当たりにして、妙に冷静になったりもしますが、そういうことではなくて自然と思考停止しがちになるのです。

で、みんな楽しそうにしてるのに今の自分はつまらなさそうにしているのだろうな、と思う。

なかなかいたたまれません。

しかし別に堂々と静かに飲んだり食べたりしていていいと思うのです。

飲み会は飲み会が好きな人を囲む会であって、別に好きじゃないけど参加する人はその人にとって刺身のツマみたいなものだから、そこに存在することに意義があるのです。

飲み会絶対拒否の友人の気持ちに思い馳せてもいいし、ひたすら飲み食いするのも良し。自分なりの楽しみを見つけること。でも、飲み会で参加者の人柄を知ることもあるので、参加はすること。それで十分だと思います。

敏感になるしかない

内向型は刺激に圧倒されやすい気質です。
なので、騒がしいところなどは得意ではありません。

状況の中で圧倒されやすく、その場における情報量にも圧倒されがちで情報収集がうまくいかない場合もあります。要は空気を読み落とすことがあるということです。

となればどうすればいいのか。

いついかなる時も、状況は刺激的とは限りません。静かな場合も多い筈です。

加えて、内向型=敏感、という考えもあるくらいなので、本領発揮なら空気を読めないことなどない筈です。

だから常日頃の状況では冷静に敏感に空気を読める筈なのです。そうやって日々空気を読んでいれば、騒がしい状況で読み損じがあっても”あの人いつもと違うね”となって信頼を失うなどの致命的な失敗は避けらるかも知れない。

そう思って、周囲に気配りし敏感でいると人付き合いが苦手でも多少はうまくいくものではないかという気がします。

時代の流れ

最近、偶然なのかお気に入りに登録していたブログやテキストサイトが次々と更新を止めてしまいました。

衝撃。

このサイトもどれほどの方が見てくださっているかわかりませんが、pcよりスマホの時代に、長々と文章や画像を載せる時代ではないのかなと考えてしまいました。(更新が遅れた言い訳ではありません。更新はうっかり忘れていました。すみません)

で、内向型は時代に乗れる存在なのか置いていかれる運命にある気質なのか?

内向的でも外向的でも、時代に乗るチャンスはある気がします。内向型は情報を細かく見る傾向にあるので小さな変化を見つけやすいだろうし、外向型なら膨大な情報から変化を見出すだろうと想像するからです。

でもどんなに時代に乗っていても、変化への寂しさは感じるもの。
どうせ変化するなら感傷的にばかりならずに楽しく過ごしたいものです。

些細なことの積み重ね

あたたかく受容された経験があるのとないのとでは、自信の持ちようは全く違うものになると思います。

となると、あたたかく接してくれる両親、兄弟姉妹、お友達、先生、先輩や上司が必要となってくるわけです。

でも出会った人がみんなあたたかいとは限らない。

家族や親戚がどんな人間かは生まれた後の自分には選べないし、その他の巡り合わせも運次第のことはある。

けれど、あたたかく接してもらいやすくすることは出来るのではないか。

誰もがみんなコミュニケーションが得意というわけじゃない。失敗することも多々あるし、それは他人も自分も同じ。
失敗した人を無視するんじゃなくて、ちゃんと相手して返してあげる事。
反対に返事がなかったら、相手になぜ伝わらなかったのかと冷静に考える事。

内向的だとなかなか瞬発力の発揮出来ない部分ではあるけれど、そうやって努力して受容されやすい自分を意識する事は出来るのではないか。

それは、コミュニケーションにおける些細なやり取りの積み重ねによるものではないかと思うのです。

新境地でまっ白

人の生活や人生というのは十人十色であって、感性や生活環境の近しい友人・知人でないと、想像以上に人のそれらが「新境地」ということはあると思います。

例えば、独身の人が子供のいる家庭に訪問する。
子供はいないけど結婚している人でもいい。
逆も然り。
仕事をしていない人が、している人を訪問。
会社員が会社員でない人を、でもいい。
逆も然り。
大金持ちが普通のお宅へ、逆ももちろんあり。

そんな風に自分とは感性や環境が近いとは言いづらい人と関わるのは、そこでインプットできる情報量がものすごく多いということだと思います。ということは、頭の中がまっ白になりやすい。

でも、まっ白でも焦らない。疲れたなら疲れたなりの表情でいい。取り繕わなくていい。違う環境だから疲れるのであって、どっちが大変とか尊いとかそれは考えなくていい。

とりあえず無事に自分の家へ帰り、「新境地」で見聞きしたもの、得た大量の情報を整理することが大事のような気がします。