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ひとからどう思われている?

内向型は「自分がどういう人間か?」という答えを自分の内面に求めます。

何に対してどう感じたとか、何が好きで何が嫌いで、どういう理想を持っているかとか。
自分の内面について繰り返し考えることでアイデンティティーを獲得していると言ってもいいです。

でも、自分のことはよくわかっているつもりでも、ひとからどう思われているかはよくわかりません。

他人から、”あなたはこういうひとね”と言われても素直に受け入れられない時すらあります。
とは言え、自分自身が感じている自分らしさと、他人から思われている自分という人間はどちらも現実に存在しています。

そのどちらに優位性があると言うことはできません。

自分が思う自分らしさと、他人から見た自分との間に折り合いをつけるのはとても難しいことです。
それでも、「ひとから理解されたい」という欲求があるなら、他人から見た自分をすこしずつ意識すればいいと思います。

はっきり言って「ひとからどう思われているか」なんてなかなかわからないものです。
そもそも、「あなたはこういうひとだと思う」というのだってなかなか言ってもらえない貴重なことです。

だから、とりあえず意見は聞いてみましょ!

ピークパフォーマンス

スポーツ心理学について調べてみると「ピークパフォーマンス分析」ということばが出てきます。

これはスポーツにおいて、よいパフォーマンスが出来たときの心理状態を振り返り分析し、常にその状態でいることを理想とし目指すものです。

では日常生活において、そういう「ピークパフォーマンス分析」をやってみるとどうなるのでしょうか。

例えば、あのひととおしゃべりしていた自分は感じがよかっただとか、面白かったとか。きっと魅力的だったにちがいない、など。

そういうことを”ピークパフォーマンス”ととらえて分析してみるとなかなか興味深いです。

内向型は感じやすいという研究もあるくらいなので、そこからすればネガティブな発想におちいってしまいがちな内向型には、こういうポジティブな物の考え方も時にはいいのではないかと思います。

扁桃体のはなし パートⅡ

前回、扁桃体の話しを書いた際に「内向型は特に扁桃体が活発に動く気質である、というはっきりした情報を見つけることはできなかった」と書いたのですが、それらしいものを見つけました。(すみません)

それは内向型は高反応、つまり刺激に対してより大きな反応をしめす可能性があるというものです。

アルコールをしませた綿棒をかがすとギャン泣きする赤ちゃんと、そんなに反応しない赤ちゃんとがいるそうです。
そしてギャン泣きしていた赤ちゃん、つまり高反応をしめした子供は成長すると内向的になるのかも知れないという研究をしている方がいらっしゃる、というもの。

高反応ならば、扁桃体も活発に動くと考えられるんじゃないか。その高反応が内向型とイコールになれば、内向型がひとと会った時に不安を感じるようなこと、人見知りするようなことがあってもおかしくはないのでは・・・。

ただし、経験から”初対面のひとと会うことはそれほど危険なことではない”ということを認識していたり、そういう学習や成長過程で得た性格などが影響をおよぼし、かならずしも「人見知り=内向型」と断言はできないようです。

科学的な研究も要注目ですね。

正論を言ってみるとこうなる

もし、内向的であるがゆえにひとから理解されないと悲しい気持ちになったり、疎外感を感じるようなことがあったら、私たちはどうすべきなのか?

自分のこころに耳を傾けてみてひとと違うと感じたり、みんなで騒いで楽しもうと誘われても、どうしても楽しそうとは思えなかったり。

そんな時、自分はこう思うからみんなと同じようにはできませんと伝えたとします。すると「これでいいのかな?」という迷いが発生してしまうでしょう。

そうなったら、一体どうすべきなのでしょうか。

実はその時点でなにかを対処すべきなのではなく、必要なのは日頃からの備えなのです。

みんなと違う行動をとるからと言って、敵意はない。みんなのことを嫌いなわけではないと伝えておく。態度で示す。

どんなささいなことにも”ありがとう”と感謝の気持ちを伝える。声にして出す。

そうやって好かれようと気にかけて、信頼を得ようと努力しておく。
そうすればいざみんなと違う自分がいても、大丈夫。
簡単に嫌われたり理解できない偏屈なひととみなされて悲しい思いをすることはなくなります。

・・・ってこれこそ正論!運動して間食しなかったら痩せるよって言うのと同じです!

みなさま、出来る範囲でがんばりましょう。

扁桃体のはなし

人見知りをされる方は、人と会う際に脳の扁桃体という部分が活発になり不安を感じるのだそうです。

内向型は特に扁桃体が活発に動く気質である、というはっきりとした情報を見つけることはできなかったのですが、自分は内向的かつ人見知りと感じていらっしゃる方は多いように思います。

扁桃体は、もし損傷があり正常に機能しないとなると恐怖心をいだくことがなくなり、たとえば危険を察知してそれを避ける能力もなくなってしまうそうです。危険ですね。

ですから、人見知りするということは扁桃体がある程度正常に機能しているということなのです。だからあなたが人見知りでも何も心配する必要はありません。

扁桃体とは関係ないのですが、人見知りすることを問題と思われるならば、むしろその本質は相手に対する自分の振る舞いに自分自身が納得していないということではないでしょうか。

会う人全員に好かれることは不可能です。
でも自分を好きになってくれる人だけ相手するわけにもいきません。

納得のいく振る舞いをするのはむずかしいことですが、ちょっとした工夫ならばできそうではありませんか。

去り際に何か心当たりがなくても、相手にひとこと「ありがとう」とかならず言ってみる。相手との距離感がうまくつかめそうにないなら、話題に関する”趣味の話はしない”などの自分ルールをあらかじめ作っておく、など。

ひと付き合いって本当にむずかしい。千里の道も一歩から、ですね。

内向型は人見知りなのか

内向型=人見知り

というのは本当なのでしょうか。

人見知りに関係が深いとされる扁桃体は、脳のなかでも恐怖心や不安を生じさせる部分と言われています。

で、内向型と外向型で扁桃体の動きがそれぞれ違うのならば、

内向型=人見知り

という結びつきを証明する材料になると考え調べてみました。

内向型と外向型では脳が刺激を受けた際の刺激の伝達経路は違うらしいのですが、その伝達経路のなかでの扁桃体の位置づけはどうやら違っているようです。

人見知りをするひとは、ひとと出会った時に扁桃体が活発になる、すなわち不安になるとのことですが、刺激が脳をめぐる経路によって扁桃体が活発になる度合いに違いがあるかどうかまではわかりませんでした。(すみません)

ただ、初めて会うひと、という刺激過多の状況で内向型が自分の納得のいくやりとりをいきなりするというのはかなりむずかしいことでしょうから、そういう意味で内向型は人見知りする傾向があると言えるのではないでしょうか。

どういうひとと会えば疲れずに済むのか

”誰かと会う、その誰かによって、そのひとと会うときだけは100%疲れずに済ませられる!”

なんてことってあるんでしょうか。

内向型は、刺激を受けたときに脳が活発に動き疲労を感じます。

となると、

疲れる相手=脳が活発に動くような刺激を与えてくるひと

となります。

例えば、そのひとと会うと昔のことをたくさん思い出して脳がより活発に動く、など。

ではその反対は、

疲れない相手=脳が活発に動くような刺激を与えてこないひと

おそらく、ある一定の距離感を保っている相手、それより近くても遠くてもあれこれ考えてしまって疲れてしまう一線があります。

その一線はひとによって違う。

家族がそれにあたるひともいれば、毎日会う会社の同僚というひともいるでしょう。

その距離感を探って意識してみると、人前で疲労のピークを迎えることが減り、人付き合いもより気楽になるかも知れません。

内向型ってこうだ、という思い込み

むかし、友人に「内向的なんだね」と指摘されて、

「あぁ、内気だしね」と返したら、

「内気じゃないよ、ぜんぜん」

と言われました。

当時は内向型について何も知らなかったし、意識も自覚もなかったので深く考える事もしなかったのですが、今あらためて思い返すと、確かにわたしは内気ではないようです。

こんな風に、”内向的だから絶対にこう”というところに、思い込みをしていることはある気がします。

内気、恥ずかしがりや、人見知り、人ぎらい、社交的でない・・・。

正直に言って、どこに線引きがあるのかはむずかしくてはっきりわかりません。
しかしながらわたしには上記のどれも当てはまりません。

社交的なひとならこうする筈、人見知りでなければこんな風に感じたりはしないなどという事も含めて、思い込みをいったん捨ててしまえば、意外と社交性を発揮できたり出会ったその日に誰かと意気投合したりすることもあります。

もちろん、まずその場にある程度なじんでから少しずつ会話したり、疲れたなと感じたら退散したり休んだり、内向型であることをふまえて焦らず思うようにされる必要はあると思います。