「内向型について」カテゴリーアーカイブ

客観的にものを見ることのむずかしさ

モデルさんや女優さんを見ていると、いつも口角があがっていて笑顔に見えます。
そのお顔は本当に幸せそうでうらやましいなあと思います。

ですが、自分のこととなるとなかなか意識できない。

あからさまにしかめ面をしているくらいは自分でも気がつきますが、たいていはどんな顔をしているか想像すらしていません。

客観的にものを見ようとする時、そこには必ず自分がいます。
そこにいる自分がどんな顔をしていて他の人からどう見られているか?がわかれば少しは場のこともわかる気がします。

でも自分の顔すら想像できない。

物事を客観的に見てごらんとよく言いますが、実際には相当むずかしい。内向的なら尚更、というこになるかも知れません。でも、いま自分はどんな顔をしているだろう?ということが意識できれば少しは変わるかも?

思い込むとうまく行かない

何かでうまく行かない時、内向的だから無理だよなぁ・・・と思ったことはございますでしょうか?

管理人は体力がないことと感情に振り回されがちなために物事がうまく行かないと感じることが多いのですが、内向的だからと思ったことはあまりありません。

しかし物事がうまく行かない時というのは、思う以上にいろんなことが絡んでいるものです。うまく行かない原因はひとつではないし、結構複雑です。

そうなると”内向的だから・・・”と思い込むだけだったら、いつまでも真実にたどり着けません。

探偵さんになったつもりで、なんでうまく行かないのかしら?とよくよく考察してみてください。もしかしたら、いつの間にかうまく行くこともあるかも?

記憶の捏造?

みなさんは、身に覚えはないが何故か記憶にある、というような経験がございますでしょうか?

心理学においていろいろな研究をするひとがいるようで、記憶の捏造についても実験したひとがいるそうです。

その実験では、お兄さんから”お前が小さいころ迷子になった”と言われて、”覚えていない”と一旦は答えた弟が、次に迷子になった経験について尋ねられると、迷子になった時の事を具体的に説明し始めたのだとか。

この実験、実はお兄さんが心理学の学生で、弟に言って聞かせたような迷子の経験はないというものだったそうです。

お兄さんという信頼のおける情報源に、それらしい情報を与えられた弟は迷子の記憶を勝手に作ってしまったというのです。

ちなみに、想像力が豊かなひとの方が記憶の捏造をしやすいそう。

内向的だと想像力も多少豊かのように思います。気をつけた方がいいかも?

言い方に気をつけて!

社交下手と口下手が常にイコールとなるかどうか私にはよくわかっていないのですが、社交とものの言い方が密接に関わるということぐらいはわかります。

同じ内容でも言い方ひとつで相手の感じ方、感情は変わってくるもの。
それに、内向的だと社交センスを磨くのにはかなり時間がかかりそうなので、とりあえず先にものの言い方に気をつけるべきでしょう。

「いらない」と言うのではなく、「なくても大丈夫」
「まずい」と言うのではなく、「おいしくはないね」
「ダサい」ではなく、「好きなひともいるかもね」

あまり言いすぎると気恥ずかしいのですが、口が悪いことで何か良いことが起きる、というものでもないのでお心当たりのある方は是非お試しください。

GWは去りぬ

以前は内向的であることをさも悪いことのように書かれるととにかく胸が痛かったのですが、今は必要以上にそう感じなくなりました。

いまはまだよく理解できていないけれど、内向型でも適度なバランスを保てるようになったせいかも知れません。

内向的との自覚があると、自分の人格についてどうしようもない部分とどうにかできそうな部分と少しだけ区別がつくような気がしたものです。

そして、そのどうしようもない部分を悪く言われている気がしたのでしょう。

心理学を勉強してわかったことですが、人格というのはかなり色々なことに影響をうけるようで、内向型か外向型かだけで形成されるものではありませんでした。
なので、最近は記事をどう書けばいいか悩むのですが、自分自身が「内向型である」ということをヒントにいろいろとわかって今に至ることに変わりありません。

GWで更新をサボってしまったのでリセットのつもりでこういう記事を書きました。
今後ともどうぞ宜しくお願いします。

外見に気を配る

気温が上がり暑くなってきました。猛暑というようなことはまだありませんが、半袖でも十分に過ごせる気温です。

衣替えもせねばなりません。冬物を洗濯してしまわねばなりません。

洗濯はおしゃれするのと同じくらい大事です。おしゃれをしたければ、同時に洗濯も頑張らねばなりません。

え?洗濯なんて面倒だしクリーニングはお金がかかるから嫌?

ならおしゃれをあきらめる他ありません。洗濯をきちんとしていない衣服を着用するくらいならダサい服を着ていた方が絶対に良いです。

内向的だと外見に気をくばることが苦手なこともあるかと思います。私もひとのことを言えたものではありませんが、”おしゃれ<清潔”は間違いないです。

思い込みにさよなら?

内向型に限ったことではありませんが、思い込みはついついしてしまうものです。

ですが、思い込みをしている人に対して”思い込んでますよ”と的確に指摘するのは難しいもの。逆に言えば、思い込みで行動したり発言したりしてもひとから指摘してもらえないということです。

しかも、指摘されても素直にはなかなか聞けないもの。
指摘してもらいたい!という気持ちがあったとしても、です。

思い込みがもとで失敗したとはっきりわかっているなら、その思い込みはどうにかする必要があります。でも失敗したわけじゃないなら、そんなに思い込みを敵視する必要があるでしょうか?

管理人は子供の頃から思い込みが激しいと言われ続けており、内向的なせいなのか?と思わないくもないです。
じゃあそれで人生は台無しかと聞かれればそういうわけではありません。

思い込みに気づく時のさわやかな気持ち・・・というのはある気がしますが、自分はなぜこんなに思い込みが激しいのか?とむやみに悩む必要はあまりない気がします。

マイペースでなぜ悪い

内向型は外からの刺激を大きいものとして受け止めがちであるため、刺激の多数ある状況では疲れたり圧倒されたりしやすい気質です。

となると、なんとなくぼーっとして周囲の話を聞き逃してしまったり、自分の考えに没頭して会話にうまく入り込めなかったりしてしまいます。

そうすると時に協調性を保てずマイペースにもなりがちに・・・。
でもそれの何がいけないと言うのでしょう?

管理人も、マイペースが周囲に与える困惑についてや、社会性が高ければ高いほど得する気がするし、生きやすそう・・・といった理由からマイペースを脱しようといろいろ考えたり行動したりしましたが、結局のところ特にいいことはないように思いました。

それはどんな状況でも自分の疲れやすかったり、圧倒されがちな気質はどうしたって変わらないため、頑張って振る舞った分のしわよせが他に出ているように感じたからです。

でもそれはやってみたからこそ分かったこと。マイペースの何がいけないの?と、お感じの方はそのままでいいし、いや良くはないだろうと思う方は改善を試みてください。

社交術とはこれいかに

管理人は社交的ではありません。なので、誰かにアドバイスできるわけもないのですが、これだけははっきりしているらしいと最近感じたので書くことにします。

結局のところ、人付き合いにおいて気にかけられているのはすべて「嫌な感情を相手に抱かせてはいないか?」ということではないでしょうか。

しかしながらこれはあくまで社交術であって、思いやりや誠意のこもった人付き合いでも同じことが常に通用するかと言えば、そうでもない気はします。

もし、新生活などにおいて”もっと社交的だったら楽なんだけどな”と思う状況などあれば、とにもかくにも「相手に嫌な思いをさせない!」ということをたよりに挑んでみられると意外とすんなりうまく行く気がします。

受け流す

内面につよい関心を持っていると、時として自分の感情にこだわってしまい、嫌なことを受け止めきれないということがあります。

何が嫌なの?と聞かれても、嫌なものは嫌なのだから仕方ありません。
もし自分が精神的に成長を遂げて、冷静に考えて、そんなに嫌がるべきことなのだろうか?と思えることもあります。
でも、嫌な感情を持ってしまうことを、そう簡単に変えられはしないのです。

そこでどうすればいいのか?

嫌な感情を起こさせることに対し、受け流せるようになること。

負の感情は他人を傷つける原動力にもなり、ただ正直に素直に振る舞っただけというのでは済まないこともあります。
嫌な感情が湧き上がるようなことが何故起こるのか考えだすと、ますます自分の感情に振り回されることにもなります。

負の感情をなかったことにしたり、無視したり、溜め込んで我慢するのは良くありません。
でも、嫌な思いを自分だけがしているのではない場合もある。
常にそうするべきということではなく、時と場合によって”受け流す”ということを選択肢のひとつとして持っているほうが生きやすいのではないかと思うのです。