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黙ってるのは罪じゃない

年末年始、たくさんの、しかも久々にそのひと達と会うという機会が増えます。
参加することはいいことですし、とりあえず行っとこう!と思います。

だけど、その場で疲れすぎて失敗したりするのは避けたいもの。
ではどうすべきなのか?

まず、気の利いたことを言わないのは罪ではありません。それどころか黙っていることすら許されるものです。黙って機嫌よく食事したりみんなの話を聞いていればそれで十分です。

それに加えて自分らしくいられれば疲れずに済むかも、という希望は捨てた方がいいと思われます。
たくさんの久々に会うひとのいる場で自分らしく振舞うのは至難の技なのです。

では、今年もありがとうございました。
よいお年を!!

ぼっちについて

ひとりでも楽しめるのは内向型の特権!などと勝手に思っていたのですが、最近外向的だなと思う方々のひとり行動について聞く機会があったので、内向型の特権という考えは勘違いっぽいと思うようになりました。

その外向的とおぼしき方いわく”好きなことならひとりでも全然楽しめる”だそうで、たぶんその”好きなこと”は外向型らしく流行りで人気の高いものだったりするのかも知れませんが、”ひとりでも全然楽しめる”のくだりは内向型とまったく同じだなと思いました。

ひとりでも楽しければいい!
でも、ひとりでは楽しくない!と思うならば、誰かを誘ったり声をかけたりする勇気は持っていた方がいいと個人的には思っています。

もやもやしたら書く

自分とは違う種類の人と会うと、もやもやした気持ちになることがあります。

相手に悪意らしきものがある場合も、ない場合もありますが、毎日色々な人と出会う機会があればもやもやなどしょっちゅうということもあり得ます。

そのもやもやは瞬時に言葉にすることがむずかしかったりします。

外向型はわからないですが、内向的な方ならいつまでももやもやを気にしてしまうこともあるかと思います。

もやもやは言葉にすると多少すっきりします。
書くという行いはもやもやを言葉に変換する大きな助けになると私は思います。

外向型も考えるのが好き

これまで、このサイトでは「内向型は考えるのが好き」と繰り返してきたのですが、外向型は考えるのが嫌いということなのでしょうか?

外向型は内面ではなく外界から情報を得るのが得意な気質です。

外向型は外界の情報を”知覚(見たまま)”によって得ているとすると考えるのが苦手ともとれます。しかし、”解釈(状況を考える)”と言葉を置き換えると、考えることなしに外界から情報を得ることなど出来はしません。

「内向型は考えるのが好き」というのは管理人の性質を強く反映した解釈のようです。すみません。
外向型にも考えるのが好きなひとはいると思います。

自分のことであたまが一杯!

内向型は自分が今置かれている状態に敏感な傾向にあるため、自分と他人が違う状況にあるということを認識するのが苦手であるような気がします。

自分がヒマなら他人もヒマだし、自分が忙しければ理解してもらえる。なぜなら他人も自分と同じように忙しいから。

でも実際はそうではなく、単なる思い込みなのです。

気持ちでそれを理解するのはなかなかむずかしい。
だけど気持ちがわからないからと言って無視するのはいかがなものか。

例えば、”いま大丈夫ですか?”と話しかける相手に聞くことを習慣にしてはいかがでしょうか。
もちろんただ言うだけでは、こちらのせめてもの気遣いも伝わりませんのでむずかしいですが、相手を気遣う事を習慣とするにはこういった一言から始めればいいと思われます。

セーブしますか?

内向型は”セーブ”するという感覚を持っているように思います。

今後の計画や予定を考慮せずに行動しない、ということです。

例えば、あした出勤だから今日はもう出かけない、と言うような。

そうなると具体的な予定はないのだけれど、先の予定のために休んでおく、という予定が立つことになります。

時間を惜しまずに予定をめいいっぱい立てたい!という方には理解しづらいかも知れませんが、実際によくあることです。

それを申し訳ない事だと人付き合いよくしている方がいらっしゃったら、セーブしている内向型もたくさんいると思いますので、いちどお試しください。

一人ぼっちは罪なのか

内向型は外からの刺激を大きいものとして受け止めるので疲れやすいそうです。

そうなると、一人でいる時と複数人数でいる時とどちらが楽かと言えば、一人でいる方が楽というのは自然な考えとしてあると思います。一緒にいる知人や友人と話せば、それだけ外から受ける刺激が多くなるからです。

そんな内向型は一人でいることに慣れており、あまり抵抗感もないのではないかと思われます。
一人で何かするのは良くない、というような言い方をされることもありますが、防犯の観点以外からそれはあまり意味をなしていない気がします。

暗いひと

内向的と言うと「明るくてよく話すひと」と、「暗くてあまり話さないひと」のどちらのイメージを持つでしょうか?

たぶん前者だと思うのですが、”暗くてあまり話さない”から内向型という考えは本当に正しいのか。

内向型は考えるのが好きと思われるので、考えがまとまるまで話さないとしたらそのイメージは合っているかも知れません。でも、考えを次から次へとすぐ話してしまうのであればそのイメージにはそぐいません。

内向型には良くないイメージがあてはめられがちですが、まず物事の良し悪しは表裏一体の部分もあります。それに、内向型がどんな気質か?をきちんと把握すればステレオタイプに自分をあてはめて苦い思いをすることがあれば、それも減らせるのではないでしょうか。

ひとの性格を分類

心理学ではひとの性格を分類するという考え方があります。

よく言う血液型判断は話題には便利ですが、心理学的な根拠はないようです。
ただ”ひとの性格を分類する”という例え話としてはわかりやすいと思います。

その血液型のように性格を分類することを「類型論」と言うそうです。
だけど複雑な人間の性格をいくつかに分類するのは現実的に無理がある。

だからただ分けるのではなくむしろ評価するという考えの「特性論」というものもあるそう。血液型の例えなら、

”あのひとはA型っぽいところが大半だけど、B型っぽいところもちょっとあるよね”

というような。

内向的かどうかだけじゃなく、ほかのいろいろなことも見えてくるのでご関心のある方は専門書などで勉強してみてください。

ご参考にwiki「性格」

外向型とは気が合わない?

内向型のひと向けの書籍は見かけても、外向型のひと向けの書籍というのはあまり見ません。
おそらくあるのでしょうが、”外向型向け”とはっきりわかる題名ではないのだと思います。

そういうことからも、外向型は”自分は外向型だ”と強く自覚することがあまりないのかもと思ってしまいます。
それは自分がどういう人間か?を知ろうとする観点が内向型とはちょっと違うということをあらわすものかも知れません。

そんな価値観の違いを乗り越えて外向型と仲良くできるものなのでしょうか?

内向・外向ということを意識していなくても、他人の考え方や価値観が自分と違うことにびっくりすることはよくあります。だけどそれらが違うからといって嫌悪感を抱くかといえば、必ずしもそうではないものです。

「外向型」というくくりで考えると仲良くなれそうもないですが、すでに仲の良い友人に”この人は外向型かもな”というひとは案外いるのではないでしょうか。