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客観的にものを見ることのむずかしさ

モデルさんや女優さんを見ていると、いつも口角があがっていて笑顔に見えます。
そのお顔は本当に幸せそうでうらやましいなあと思います。

ですが、自分のこととなるとなかなか意識できない。

あからさまにしかめ面をしているくらいは自分でも気がつきますが、たいていはどんな顔をしているか想像すらしていません。

客観的にものを見ようとする時、そこには必ず自分がいます。
そこにいる自分がどんな顔をしていて他の人からどう見られているか?がわかれば少しは場のこともわかる気がします。

でも自分の顔すら想像できない。

物事を客観的に見てごらんとよく言いますが、実際には相当むずかしい。内向的なら尚更、というこになるかも知れません。でも、いま自分はどんな顔をしているだろう?ということが意識できれば少しは変わるかも?

言い方に気をつけて!

社交下手と口下手が常にイコールとなるかどうか私にはよくわかっていないのですが、社交とものの言い方が密接に関わるということぐらいはわかります。

同じ内容でも言い方ひとつで相手の感じ方、感情は変わってくるもの。
それに、内向的だと社交センスを磨くのにはかなり時間がかかりそうなので、とりあえず先にものの言い方に気をつけるべきでしょう。

「いらない」と言うのではなく、「なくても大丈夫」
「まずい」と言うのではなく、「おいしくはないね」
「ダサい」ではなく、「好きなひともいるかもね」

あまり言いすぎると気恥ずかしいのですが、口が悪いことで何か良いことが起きる、というものでもないのでお心当たりのある方は是非お試しください。

外見に気を配る

気温が上がり暑くなってきました。猛暑というようなことはまだありませんが、半袖でも十分に過ごせる気温です。

衣替えもせねばなりません。冬物を洗濯してしまわねばなりません。

洗濯はおしゃれするのと同じくらい大事です。おしゃれをしたければ、同時に洗濯も頑張らねばなりません。

え?洗濯なんて面倒だしクリーニングはお金がかかるから嫌?

ならおしゃれをあきらめる他ありません。洗濯をきちんとしていない衣服を着用するくらいならダサい服を着ていた方が絶対に良いです。

内向的だと外見に気をくばることが苦手なこともあるかと思います。私もひとのことを言えたものではありませんが、”おしゃれ<清潔”は間違いないです。

社交術とはこれいかに

管理人は社交的ではありません。なので、誰かにアドバイスできるわけもないのですが、これだけははっきりしているらしいと最近感じたので書くことにします。

結局のところ、人付き合いにおいて気にかけられているのはすべて「嫌な感情を相手に抱かせてはいないか?」ということではないでしょうか。

しかしながらこれはあくまで社交術であって、思いやりや誠意のこもった人付き合いでも同じことが常に通用するかと言えば、そうでもない気はします。

もし、新生活などにおいて”もっと社交的だったら楽なんだけどな”と思う状況などあれば、とにもかくにも「相手に嫌な思いをさせない!」ということをたよりに挑んでみられると意外とすんなりうまく行く気がします。

しがみつくのは当たり前

思い込みがはげしく、勘違いもしばしば。
頑固に振舞って、周りとうまくやれなかったりする。

内向型にはこういった悩みがある気がします。

でも外からの刺激を大きいものとして感じる内向型が、せっかく得た情報をもとにした確信をどうしてそうやすやすと手放すことができますでしょうか。

周りのすべてのひとがそうやって理解してくれるわけではないけれど、思い込みや勘違いで失敗しても、次から気をつけるようにすればいいのだし、自分を否定する必要はありません。

思い込みがはげしいとひとに非難されても、本当に自分はそんなにひどい振る舞いをしているのかよく考えるべきであり、むやみに自分を否定しないほうがいいと思います。

ひとの意見を聞くべし

内向型は、外からの情報を取得することが苦手です。

外からの刺激を大きいものと受け止めて疲れてしまうし、細かい情報すらも受け取ってしまうので情報の総量が多すぎて整理しきらないのです。

そうなると情報の蓄積も苦手となるようで、例えば初対面の人がどんな人で、どんな付き合いや話をすればいいかもよくわからなかったりします。

自分を変えることは容易ではありませんから、そこはどうしようもないと諦める他ありません。

しかし、世間にはそういう情報取得が得意なひともいるわけです。そして、そういうひとに私たちは意見を求めることができる。

意見をもらっても、否定するのでは意味がありません。それを素直に受け入れることに慣れることが大事と思われます。つまり、ひとに何かすすめられたりして”それはない”とか”面倒だな”と思っても、とりあえずその通りやってみる。

やってみて得るものがあれば少しづつ慣れていくのではないでしょうか。

真実はどこにある?

唐突ですが、内向型と外向型では見えている世界が違うように思います。
と言うより、そのくらいに思っていたほうがお互いに理解しやすいと思うのです。

例えば、同じ映画を見たのに全く違う感想が出てくる。ものの見え方や感じ方がかなり違うことを了解していないと、ただ単に相手は意味のない情報を映画から読み取っているのだ、と思いかねません。

外向型は悪い登場人物の魅力を語り、内向型はその人物に悪意はなく本当は良いひとの筈だ、などと言う。外向型はその登場人物に関する情報をあますところなく画面から感じ取り悪人と認識しながらもその魅力を認めるが、内向型はそこまで情報取得能力にたけていないのであくまで自分の感じたことと考えをヒントに人物描写を試みる。

どっちがいい、ということはありません。たぶん一番いいのは素直に情報交換をすることでしょう。

だけど、お互いに見えている世界は違うのだから、それぞれの意見にはそれぞれの真実があるという考えを持てていなければ、そういう渡り合いはしようがないのではないでしょうか。

考えたからいいってものでもない

内向型は比較的考えるのが好きな気質です。
ちなみに、何か考えている風に見えて、本当は何も考えていないひとは直感やそれまでの経験によって物事を判断しているらしいです。

何も考えないよりは考えたほうがいい。
でも考えたからって何もかも上手くいくわけじゃない。

感情が大いに影響を及ぼし冷静に物事を考えられていない時もあるし、考え方に
くせがついていて結局いつも同じ結論にたどり着いているということもあります。

そうなると直感や経験に勝る考えをしているとは言いづらいでしょう。

気持ちとしてはやりづらいけれど・・・。今自分が考えていることって本当の所
どうなんだろう?と振り返るくせをつけたほうがいいようです。

人気者になりたい!

社交的だと、みんなの人気者になれてきっと幸せ。
そんな想像をよくしてしまいます。

そういう人たちの幸せを疑うことに意味もないのですが、自分と他人をくらべてどっちが幸せか?というのはつい考えてしまうことでもあります。SNSでみんなに囲まれたそういう人たちの写真を見ると、なんだか気持ちが落ちてしまう。そんなことすらあります。

だけどもう少し想像を膨らませてみると、じゃあみんなに囲まれたパーティーって居心地がいいものかしら・・・?

残念ながらその想像の中で自分は、なんとかお馴染みのひとと一緖に、壁にくっついて静かに食事したりお喋りしたいと願っていたりします。

でも想像するだけでなく実際に経験すればそんな考え(人気者は幸せな筈)ともおさらば出来るかも。みんなに囲まれるようになるまで無理してでもパーティーに頑張って出続ける。そうやっていくうちに納得できたら、自分だけの幸せが見つかるものなのかも。

すべては内向的であるがゆえ?

内向的である事が良くないことのように言われてしまうと、うまく行かない色んなこと(たいていは人間関係と思われる)は、すべてそのせいであるような気がしてしまいます。

もし私が外向的だったら、こんな問題はなかっただろう。
少なくとももっとスマートに解決できる筈だ。

しかし残念なことに、物事はそう単純ではありません。

あなたが外向的だったら、きっとすべてが変わってしまう。下手をすればここにいないかも知れない。
あなたがどんな気質を持っているかによって周囲の接し方は変わっただろうし、それがあなた自身の人格形成にも影響を及ぼしただろうと考えられるからです。

だけど、気質が変われば色んなことが違ったであろうのと同時に、気質以外の色んなことがあなたに影響を及ぼしているものです。

知りようもないことですが、複数の要因から成り立っていると思われるその悩みは外向的であっても案外同じかも。