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ぼっちについて

ひとりでも楽しめるのは内向型の特権!などと勝手に思っていたのですが、最近外向的だなと思う方々のひとり行動について聞く機会があったので、内向型の特権という考えは勘違いっぽいと思うようになりました。

その外向的とおぼしき方いわく”好きなことならひとりでも全然楽しめる”だそうで、たぶんその”好きなこと”は外向型らしく流行りで人気の高いものだったりするのかも知れませんが、”ひとりでも全然楽しめる”のくだりは内向型とまったく同じだなと思いました。

ひとりでも楽しければいい!
でも、ひとりでは楽しくない!と思うならば、誰かを誘ったり声をかけたりする勇気は持っていた方がいいと個人的には思っています。

魅力的になりたい?

外向的なひとは華やかで魅力的である、というイメージがあります。

確かに外向型の客観的に見てどうか?に重要性を見出す傾向を思えば、そのイメージは的外れではないような気がします。

では、外向的でなければひとは魅力的ではないのか?

当たり前の事ですが、そんなことはありません。内向型の内面を大事にする様が魅力的に映ることがある筈です。

外向型か、内向型かは生まれ持った気質によるので変えることはできません。ですが、どんな気質であろうと自分らしく生きようとする姿にひとは魅力を感じるものではないでしょうか。

外出するメリット

外出せず部屋にひとりで好きな事をしていると満足できますし本当に楽しいです。

でもやっぱり外出することも大事らしい。

どうしてかと言えば、ひとは性格に偏りがあるとうまく生きられない、生きやすいと感じづらくなるようだからです。

内向的という気質に従って性格を育てていくのはもっともなことですが、気質に従うだけではない外向的な面も養う必要があるということです。

無理をして外出する、というのではなく、部屋にひとりで好きな事をしているのが唯一最高の楽しみという思い込みを捨てて、外に出てみることが大事ということではないでしょうか。

内向型を自己判断

何を今更というお話で大変恐縮なのですが、内向的か外向的かを判断するのは自分でも他人でもとても難しいことだと思います。

自分の内面に関心の全くないひとはいないでしょうし、外向的なひとでも悩みを抱えたら内向的であるかのような気分になるでしょう。

逆に内向的であるにも関わらず、育った環境からやたら社交性を発揮しており、自分は外向的と考えるひともいるのではないでしょうか。

内向的か外向的かという気質は生まれ持ってのものだそうですが、生まれた後の環境にひとは影響を受けます。自分の気質がわかれば自分の取扱いがわかり、自分とは異なる気質の行動を真似することで性格にも多様性が出てバランスを保ちやすくなります。ですが、自分の気質は何か?をすぐ決めてしまう必要はなく、じっくり吟味すればよいと思います。

ちょっとずつ外向化

”ひとにどう思われているか?”
を真剣に気にしだすと、そのうち自分は外向的になれたような気分を味わえます。

考えが客観的であればあるほど安心し、自分はよくやっていると思えるようになるのです。

考え事をする時間が多いと、物事にまつわる真実は主観の中にしか存在しないような気持ちになります。信じれらるのは自ら考え至ったことだけ、といった感じです。

ですが客観的に物事を考え出すと、ひとの考えと自分の考えをミックスしてさらに考えることができるので、それまでわからなかったこともわかるようになる、見えていなかったものが見えるようになる、ということが起きます。

とは言え、こんな風に考えを巡らせ続ける時点で内向型であることから変化したわけではないということにはなると思います。

友だちって必要なのか?

ひとりが好きだと、友人との付き合いがおっくうになることもあります。
突然のお誘いをどう断ろうか悩んだり、友人の趣味に付き合うのが大変だったり。

でも自分で自分のことをすべてわかっているのではないとしたら、その悩みや大変さは絶対のものではなくなるかも知れません。

心理学には内向型の対として外向型があるという考えがあり、ひとはこの2対の間のどこかに位置すると考えます。まったく外向的なところないひと、まったく内向的なところのないひとはいないと言えます。

となると、内向型だからひきこもる、外向型だから出ずっぱりというのでは本来とは違う偏った性格になってしまうということになります。

自分と違う他人(=友だち)と付き合うことは、そういう自分のいろんな面を育てることにつながります。
必要ない、面倒臭いと思ってもがんばってつきあうことで自分の成長にもつながるのではないでしょうか。

外向型の代わりに考える

内向型は考えるのが好きです。
それはものを考えることで快感をえやすい気質だからだと思います。

それに対し外向型は考えるのが苦手とする可能性があるようです。外から情報を得ることを得意とするため、ひとりでじっと考えるよりもいろんなことに触れたり経験したほうが有意義と感じるのかも知れません。

そういう外向型の気持ちは想像の域を出ませんが、もし考えた方がよさそうな場面があれば外向型の代わりに内向型が考えをまとめたりできるのでは、などと思ってしまいます。

外向型のひとが内向型である我々に見た目のことやいろいろな遊び、世の中のことなどを教えてくれたりするのと同様に、自分が考えたことや感じたことを外向型に教えてあげるともしかしたら役に立つかも。

BCDEテスト

インターネットで内向型について調べていると「BCDEテスト」なるものに行き当たりました。(検索では植木さんという心理学者の方の記事が出ると思います。)

B:(ブラックリストタイプ)情緒不安定型の外向型→冒険家
C:(カームタイプ)情緒安定型の内向型→温厚マイペース
D:(ディレクタータイプ)情緒安定型の外向型→リーダー
E:(エキセントリックタイプ)情緒不安定型の内向型→職人肌

外向型と内向型、情緒安定型と情緒不安定型の割合はそれぞれ半々だそうです。

内向型や外向型のほかにもいろいろな資質があると知るだけで、誰かに共感を持てたり思いやりを持てるヒントになる気がします。

そのものの心理テストは見つけられなかったのですが、参考にしてみてください。

外向型について知りたい!

まったく内向的なところのないひと、もしくは外向的なところのないひとというのはいないそうです。となると自分は内向的と思っているひとでも、すこしは外向的なところがあるということです。

では外向型とはどんなひとのことをいうのでしょうか?

外向型は刺激を受けるとたのしいと感じるそうです。それはたとえ内向型がちょっと疲れるなあと思うような刺激であってもです。お出かけや何かして騒ぐのが楽しくて仕方ないといったところでしょうか。

だから、もし出かけるのがたのしみだったら、それは外向性を示していると思われます。

忘れないで!

以前、外向的になりたいとお考えであれば、演技するしかない!という記事を書いたのですが、そちらのつづきです。

外向的に振舞うことで何か得られるものがあるとお考えであれば、それもいいと思います。演技するのも案外楽しいです。

ですが、もしそうなさった場合でもご自分が本来は内向的なんだということを忘れないでいただきたいのです。

内向型と外向型では、居心地がいいと感じる環境が違います。
ですから、演技をつづけて目先の欲しいものを手に入れたとしても、その先にあるものが自分にとって居心地のよいものとは限らないのです。

外向型がより居心地のよい場所と感じるところは、世間的に言っても憧れの的となるような華やかな場所かも知れません。でもその価値観に合わせることは本当に必要なのか。

実際に身を置いてみなければ判断のつかないことだろうとは思いますが、内向型にとって大切なのは世間がどう言っていようと自分が居心地のよい場所と感じられることではないかという気がします。