花組公演「メサイア異聞・天草四郎」、観に行ってきました!相変わらず、明日海りおさんの迷いなき演技に感動しましたし、視力が落ちに落ちてオペラを使ってもあんまりよく見えない私は”声でわかる明日海りお”を堪能して、とにかく楽しかったです。それに、柚香光さんが良かったですよね。うんうん。
ショー「ビューティフルガーデン」はいつも通り楽しかったです。特に、マタドールのところでは、心の中で鼻血が出ました。出た方多いんじゃないでしょうか。
ネタバレしてます。プロットなどをよく思い出せずに書いたので、本公演がお気に入りだった方は読まない方がいいかも知れません。あと、史実を基にしたネタでもございません。では、楽しんでいただけると幸いです。よろしくお願いします。
聞き慣れたのとは明らかに違う波の音・・・。けれど、聞いたことのない音ではなかった。それ以外は、何の音もしない。ただ、砂浜に寄せては返す波音が俺の心を静かに撫でるだけだった。
(俺は・・・助かったのか・・・一体ここは・・・)
思い出すのは、激しい稲光に強風であおられた船体。そして何より、波間に消える仲間の姿。痛みをこらえながら何とか体を起こし瞼を開くと、周りには誰もいないようだった。
(助かったのは、俺だけなのか・・・)
子供の頃から、周りの大人たちにしごかれ、死にたくなるような目にも散々あってきた。だが、やっと得た自分の船も、財宝も、そして何より仲間を失い、自分がこれからどうなろうと、もうどうでも良かった。
それなのに、腹が減れば体は勝手に動き、そして人のいそうな方へ自然と足が向く。どうしたって俺は、こんなにも図太いのだろう。
物陰から様子をうかがうと、数人が農作業をしているのが見えた。服装からして、ここは異国ではなさそうだ。
まだ頭がはっきりしないせいか、つい隙ができてしまった。俺に気付いた女の声を聞いて、死角にいた男どもがすぐに取り囲んだ。
「おい!おかしな格好をした奴がいるぞ!すぐに益田様を呼んで来るんだ!」
益田というのは初老の侍で、天草と呼ばれるこの一帯を仕切っているようだった。俺を一通り眺め回し、少し考え込んだ様子を見せた後でこう言った。
「この男は益田家で預かる。異論はないな」
周囲の中には意外だという顔を見せる者もいたが、それでも文句を言う奴はなかった。益田について行くと、侍にしては粗末な家から、迎えと思しき女子供が何人か出てきた。
「父上、そのお方は」
「今日からこの家で面倒を見ることにした。男手はいくらあっても足りぬだろう。見たところ何でも出来そうだ。何か用を言いつけてやりなさい。ただ、今は疲れて腹も減っているようだから、食事と寝床の用意をしておあげなさい」
俺は、牢屋につなぐか、下男としてこき使われると思っていたから驚いた。それで思わず、こう尋ねた。
「あんた、俺が何者かわかって言ってんのか?」
「わかっているわけではない。わかっていたところで、言うつもりもない。皆を怖がらせるだけだからね。言っておくが、お前の持っていた火薬は湿っていて使い物にならない。それにそんな様子じゃ、私の家族を襲うほどの気力はないだろう。さあ、食事をしてゆっくり休みなさい。まだ顔が青い」
俺はそれを聞いて、益田は何もかも承知の上と分かった。だが、分からないのはどうしてそんなことをするかだった。
「デウス様のお導きだね。お前のような若者が私たちのところへやってきたのは」
俺の顔を眺め、心の中を読むかのように、益田はそう言った。
それからは、益田家の男手として家や村のために働くようになった。畑仕事もあれば内職などもあり、子供達の遊び相手にもなった。だが、子供達が自分を呼ぶときに”お兄ちゃん”と言うのには一向に慣れなかった。親もなく、物心ついた時から一人で生きてきたから、そんな風に呼ばれたことなど、これ迄ただの一度もなかったからだ。
しばらくすると、益田は俺を養子にすると言いだした。侍の養子になるなんて、見当のつかないことだったから、俺は益田の言いなりだった。だが、それが嫌ではなかった。それに、どういうわけか、反対する者は一人もいなかった。皆、口を揃えて”デウス様のお導きだ”と言った。益田は俺を、”四郎”と名付けた。
村が貧しいことはここへ来てすぐに分かった。それは食事や身なりなどを見れば一目瞭然だったが、暮らしてみると想像以上に厳しかった。それと、彼らの言動からは、彼らが熱心なキリシタンであることも見て取れた。異国へ行けばキリシタンなど普通にいるものだ。だが、ここは違う。以前とは違い、もはやキリスト教は幕府によって禁じられているはずだった。
(俺は、嵌められたのだろうか。こいつらは何か、企んでいるのだろうか・・・)
ふと、そんなことが頭をよぎった。幼い頃から人に騙されずに生きる方法ばかり考えてきたからだろう。だが、これまでの相手は悪党ばかりだったから、それも当然だった。ここの人間は、どう見たってそんな悪どい連中とは違う。
益田の家は海から近く、働いている間、いつでも波音が聞こえた。浜へ出て海を眺めると、ここに来るまでの光景がよみがえった。盗みやたかりをしながら過ごした子供時代、なんとか倭寇(注:海賊のこと)の親方に取り入って海へ出た。陸では見ることのできない景色が目の前に広がり、異国の人々を相手にすれば気分は高まった。世界は自分の手のひらの中にあるとさえ思えたし、どんな辛いことがあっても、それがあれば生きて来られた。
俺を買ってくれた親方が病に倒れ死んだ後、俺は親方の船を継いだ。慕ってくれる仲間も増え、船はそこそこのものだった。これまで俺を酷い目に遭わせた、全ての人間の鼻を明かしてやれそうなほど、稼いで稼いで稼ぎまくった。今思えば、その時に俺が襲った連中には、益田の家にいるような善良な人間も含まれていたのかも知れなかった。だが、この世の不公平を嫌という程味わって来たその時の俺には、そんなことわかる筈もなかった。
今こうして全て失ったことを思い返しながら海を眺めていると、いてもたってもいられなくなる。これまでの罪を償うでもなく、益田の家に厄介になるだけで何もできやしない。世界の中心が自分だと思えたのも幻のようで、それを思うと全身が焦げ付くようだった。
(そう言えば嵐に襲われる直前、この近辺に財宝が隠されているという話を仲間の一人がしていたな・・・。もし、その財宝を見つけられれば、俺は元の生活に戻れるかも知れない・・・)
急にそう思い立つと、岩山を彷徨い始めた。もう日が落ち始めたから、今から行くのでは夕食に間に合わない。家の者は俺を探すだろう。だが、そんな考えはすぐに打ち消した。俺は、益田家や天草から逃げ出したかった。
ごつごつした岩山の中、なんとか足場をたどって行くと、入り口の小さな洞窟を見つけた。海岸にはよくある洞窟だったが、どうにも気になり中へ入った。すると、奥から油の臭いがして、人のいる気配がした。狭い隙間を通り抜けると途端に視界が開け、俺はとっさに物陰へ隠れた。明かりが揺れて、天草の村では聞き覚えのない、若い男の声がした。
「誰だ!!」
あからさまな敵意ある声ではなかったが、姿を見せると、男は刀を抜いてこちらに向かって構えていた。
「俺は天草の益田四郎だ。刀をおさめてくれ」
「お前が、あの益田殿の養子になったという男か・・・」
俺は、自ら益田姓を名乗ったことに自分でも驚いた。不利な立場で他に仕方がなかったとは言え、なんとも情けなかった。
「ここで何をしている」
男が刀をおさめて壁の方へ下がると、手にした灯りで壁一面に絵が飾られているのが見えた。
「何だ・・・ここは・・・!」
「私は島原からここへ来て、キリシタンの者たちのため絵を描いているのだ。私は・・・松倉家に仕える絵師だ。リノと呼んでくれ」
「リノ・・・本名ではないな。キリシタンが使う名前か・・・」
「益田殿から、キリシタンの名を与えられているのではないか。洗礼を受けていないのか」
「俺の勝手だろう。放っておいてくれ。そんな事より、松倉と言えば大名ではないか。そんな家に出入りする絵師がこんな絵を描いているとは・・・」
俺がそう言うと、リノは癪に障ったようで、少し不機嫌そうにした。
「随分と遠慮のない物言いをするのだな」
「回りくどいのは嫌いなんだ。それに俺は、どうしてここの連中が、そんなにもキリシタンにこだわるのか分からんしな」
「益田殿の家にいて、わからぬのか?我々がどんなに厳しい暮らしを強いられているのかを」
リノの目は真剣だった。南蛮の絵を描くような奴に、まっとうな人間などいない。それが俺の知る限りのことだったが、この男はそうではないと、すぐに理解した。
「信仰がなければ、私たちは生きてはいけぬ。この土地には生きる希望がない。松倉家が治めるようになってからと言うもの、石高は上がるばかり。しかも、それは私たちが納められるもの以上のものなのだ。私たちは、デウス様におすがりする他に、もはや生きる希望を見出すことが出来ない」
「分からないな。もしデウスがお前たちを救ってくれるなら、松倉家はとっくに潰されているだろう」
「あなたには、信仰心というものを理解する気持ちがないのか?」
「信仰?俺は、子供の頃から必要なものは人から盗んででも手に入れてきたのさ。自分以外の人間なんて信じないし、ましてや神様仏様なんかにすがる奴の気が知れないね。そんなものがいるなら、俺だってとっくにこの世にはいないさ」
リノはそんな俺の話を聞いて、静かに目を閉じ、何かをブツブツと唱え始めた。
「何をやってるんだ?」
「お祈りです。どうか、あなたの魂が救われますように」
俺はあっけにとられて、リノのその姿をただ眺めていた。
「どうして、キリストの絵を描き続けるのだ?禁じられておるのに」
「村の者が喜ぶ。厳しい生活を強いられ、皆私の絵が支えなのだ」
「それだけじゃないだろう?人の為にだけ描くにしては、その身を危険にさらしすぎる」
リノはそう問われると、丸で話したくないことを尋ねられたみたいに、答えようとしなかった。
「今日はもう遅い。また今度、絵を描いているところを見せましょう。もっと早い時間にここへおいでなさい」
そう言うと、俺を伴って洞窟を出て、島原へ帰って行った。
リノを見て、ここの連中に感じるものが何か、ようやく分かった気がした。何かが俺とは根本的に違っている。それは、自分の力で、この現状をどうにかしようとしないことだ。戦い、盗み、虐げられても決してへこたれず、立ち上がり、生き続ける。そういう力がここにいる人間には欠けている。そうやって生きてきた俺にとっては、どうにも理解し難いことだった。その上、神にすがり、キリストを信仰することで、いつか自分たちは救われると思っている。
益田家は相変わらず貧しかったが、それでもなんとかやっていた。だが、後もう少しでも松倉に持って行かれるようなことがあれば、誰かを家から出さねばならなくなるだろう。そしてそれは、女子供になるはずだ。男手を失えば、もっと立ち行かなくなるからだ。なんとかそれだけは避けたいが、だが俺とてどうすべきかはわかっていたわけではなかった。一度は逃げ出そうとしたが、まだここですべきことがあるように思えた。そして、それが具体的に何であるか分からない以上、ここを立ち去るわけにはいかぬと、思い始めたのだった。
その後も、俺は岩山の洞窟へリノを訪ねた。天草の村は、俺を受け入れてはいたが、打ち解けて話せる相手がいる訳ではなかった。リノとて、口を閉ざすことも少なからずあったが、俺が来ると必ず笑みを見せ迎え入れてくれた。
ここ島原では、キリシタンであることを知られれば、厳しく責め立てられ、時に拷問を受けた。キリシタンかどうかを調べるため、松倉の家臣はどこから手に入れたのか、リノの描いているようなキリストの絵を足で踏ませた。キリシタンであれば、畏れ多いとキリストの絵など決して踏まぬからだ。松倉家の拷問は、ほとんど死を意味するくらいのものだった。リノは、南蛮絵が踏まれることにも、踏めずに拷問される人々がいることにも、ひどく心を痛めていると俺に話した。
「それにしても、キリストの教えとは、どんなものなんだ?益田の者も、信じていればデウスに救われ天国へ行けるということくらいしか言わぬ。経典などはあるのか?」
「経典ではない、聖書だ。聖書は異国の言葉で書かれていて読むことはできない。だから私の描く絵が必要なのだ。聖書については、私は南蛮絵と共に異国の人間から教わったので、他の方々よりは多くを知っていると思うが」
「今リノが描いている、そのたくさんの人々が描かれた絵は何なのだ?」
「これは、最後の晩餐という絵だ。イエス様が磔にされる前に、弟子たちと食事をしている。中央にいるのがイエス様で、その周りにいるのが弟子だ。まだ描きかけだが、描き上げれば私の一番の絵となるだろう」
「そうか。そう言えば端の方にまだ色をつけておらぬところがあるが、そこにも何か描くのか?」
「ああ。描くのが難しい弟子なので、まだ描けておらぬ」
「リノが描くのをためらうほどなら、さぞかし徳の高い人物なのであろう」
「いや、そうではない。その弟子はイエス様を裏切ってしまうのだ」
「そうか・・・キリシタンにも、裏切りはあるのだな」
「そうではない!しかし、今にも裏切ろうとしている者の顔がどんなものか私には分からぬのだ」
俺には、リノのその気持ちは分かってやれなかった。裏切り者の顔など、自分たちと同じ顔をしているものとしか思えなかったからだ。俺と違って、誰かの裏切りに怯えながら生きたことなどないのだろう。しかし、天草にいればそういう生き方があっても不思議ではないと思えた。現に、益田が俺を裏切るなどとは、到底思えぬのだった。
リノは、少しずつその絵を完成させていた。俺たちは、様々な話をしながら、いつしかお互いを友と認め合うようになっていた。
ある日、いつものように岩山の洞窟へ行くと、見たことのない少女を前にして、すでに絵筆を取り描き始めていた。少女は、この辺の者にしては色が白く、透き通るような肌をして目鼻立ちのはっきりした顔立ちをしていた。それはまるで、リノの描くキリストの母親のような姿だった。
「来たのか。こちらはルウ殿と申す。こちらは益田家の四郎殿」
「お初にお目にかかります。四郎様は、とても腕の立つ方だとか」
「なぜそんなことを?」
リノはそれを聞いてニヤっと笑い、こう言った。
「私も武家に生まれた人間だからね。四郎殿の佇まいにいかに隙がないか、それくらいの事は分かる。さあ、こちらへ来なさい。絵もよく見える」
ルウはまっすぐに壁を見つめて、微動だにしなかった。その眼差しは心の強さを表しているように思えた。
「ルウ殿のような美しい姿なら、キリストを信じる気持ちも分かるな」
俺がそう呟くと、リノは嬉しそうに微笑んだ。
「美しいものを見れば、信仰も芽生えやすい。私の策は見事であろう?」
それを聞いて、俺もルウも恥ずかしそうにした。
「デウス様はいつも、私たちを見守ってくださいます。四郎様にも早く信仰が芽生えます様に」
その時だった。洞窟の入り口から声がした。
「いたぞ!」
それを聞いたリノの顔が一気に青ざめた。声の主が現れると、リノとルウは地面に手をつき、顔を伏せた。
「松倉様直々に、御領地を見て回られている。その方、ここで何をしておるのか?さっさと答えよ!」
俺も二人に並び、地面に手をついたが、松倉と思しき男が寄ってきて、リノを蹴飛ばした。
「おのれ!裏切り者め!このような絵を描きおって、どうかしておるわ!わしに隠れて、こんなところでキリシタンの絵を描いておったとは、まんまと騙されたわ!」
リノは黙ったまま、松倉を睨みつけた。
「何だその顔は?わしに楯突こうとでも言うのか?よかろう。石高を増やす機会についてずっと考えていたのだ。もうそろそろかと思ってな。これを機にキリシタンも殲滅してやるわ!!」
「それだけは、お許しください!これ以上は皆、飢えて死んでしまいます!」
「何だ?この女は?表をあげよ」
ルウはこわごわと顔を上げ、松倉をまっすぐに見た。
「美しい面立ちをしておるな。ちょうど良い。松倉家へ上がれば、済む話ではないか。そうすれば、お主の家は飢えることもなかろう。どの家も同じように、人を減らせば何とかなるものではないのか?のう?」
松倉がそう言うと、家来の一人がルウの体に手を伸ばした。
しかし、次の瞬間、低く大きな声が響いたかと思ったら、その家来の腕が横から斬りつけられ、肩を落とした隙に腹へと突き刺した。リノが、ルウを守ろうと、腰に差していた刀を抜いたのだ。一瞬の出来事だった。
「ひえええ・・・!」
松倉は、リノの姿をまともに見る間もなく引き下がり、家来を引き連れて洞窟の入り口へと走り去って行った。
「リノ!何て事を・・・!ただでは済まんぞ・・・!!」
リノをそのまま島原へ帰すわけには行かず、ルウと一緒に益田家へ連れて帰った。
「四郎!一体、何があった・・・!」
益田は、俺たちの様子を見て察してはいたが、それでも松倉の家来の死体が洞窟に転がっていることを告げると、さすがにその顔からは、さっと血の気が引いた。
「側近を殺されたとあっては、松倉様もただでは済まされまい。下手をすると幕府からもお咎めを受けようぞ。我ら、皆殺しか、さもなくばこの土地を去らねばならぬかも知れん。リノ殿よ、島原の家が危ない。すぐさま、知らせるのだ」
「分かっております。しかし・・・!」
「天にまします我らの神よ・・!」
益田を始め、天草の他の連中も、そして松倉相手に刀を抜いたあのリノでさえも、手を合わせ、祈り始めた。
「情けない・・・!!!どうしてお前らはいつもそうなんだ!神に祈ったって、何も変わりはしない。奪われたら、取り返すんだ!神様なんて最初からいないんだよ!」
俺がそう言うと、益田がすっと立ち上がり、まっすぐに目を見てこう言った。
「私たちは常に信仰と共に生きてきた。それが運命だったからだ。私は、お前の、お前の出自を、その運命を、一度でも否定したことがあるか。お前にはお前の運命があった。そして、私たちには信仰という名の運命があるのだ。誰も、人の運命を否定することは出来ない」
「だが、運命に立ち向かうことは出来るはずだ!神が助けてくれないのなら、自らの手で立ち上がるべきだ!神の助けがないのなら、立ち上がることこそ、神の望んでいることではないのか?!」
「四郎殿・・・!!」
「俺はここで、ずっとみんなの暮らしを見てきた。そうさ。俺はここへ来る前は、倭寇だった。ここの連中と比べりゃ、まともな生き方じゃなかったろうさ。だが、だからこそ世の中の厳しさってもんを知ってるのさ。それに、こんなのは間違っている。こんなにまっとうに働いて、それを全て、松倉に持ってかれるなんて事は間違っている。俺たちは間違った事を正すべきだ!」
俺が自分の過去を口走ったおかげか、怖がっている者もいるようだった。だが、そこにいたほとんどが祈りを捧げていた両手を離し、床に手をついて悔しそうにしていた。
「そうだ・・・。神様がお望みなら、我らは勝利を手にするだろう・・・!神の思し召しを得て、我らは立ち上がるのだ!」
俺の傍に立っていたリノが、振り絞るような声で、そう言った。すると、リノのその言葉に賛同するように、皆次々に立ち上がった。
「我らがメサイアよ!救い給え!我らに力を与え給え・・・!」
天草、そして島原から、キリシタンなど松倉に不満を持つ多くの人が集まり、陣を固めた。士気の低い松倉の兵は、我らの軍に手も足も出なかった。
益田に推され、俺が大将となり、そして副大将はリノだった。俺は倭寇の時分に覚えた知識と益田からの助言により、戦略を練った。
陣にはリノの描いた旗が掲げられ、そこには最後の晩餐でキリストから弟子たちに振る舞われた、聖杯と聖餐が描かれていた。リノの旗がはためく様子を見ると、心が強くなった気がした。
飯を運んでくる女子衆には、ルウもいた。彼女の姿を見つけると心が和んだ。それだけが、束の間の休息に思えたほどだった。
「ルウ。家の者は息災か」
「四郎様。ありがとうございます。皆、大将である四郎様こそ、神がお与え下さった救世主と申しております」
「そうか」
心の中では、神の遣いのように言われる事が、俺らしからぬ事と思えた。しかし、この天草や島原の人間の信仰心の厚さ、その純粋さ、そして感情の自然さには、次第に魅入られてもいた。それに、ルウはいつ見ても美しかった。皆の心の支えが神である如く、それが心の支えとなっていた。俺にとっては、ルウこそが神だった。
リノは絵師ながら、物をよく知っており、中でも人の心を読む術に長けていた。松倉やその兵が何を考えているのか、手に取るように理解しており、しばしば感嘆せずにはいられなかった。
「どうしてリノは、そんな風に相手の心を読むのだ?」
「倭寇の頭領だったのなら、四郎殿も分かっておいででしょう。敵が何に恐怖しているのか、結局はそれが分かれば良いのですから」
「そもそも、禁じられたキリシタンの絵を描き続けるなど、よほど強い心の者でなければ出来ぬ。なぜ、そのように強くいられるのだ?」
俺がそう言うと、リノは急に黙った。
「私は強いのではない。ただ臆病なだけなのだ。だから人の心が、自分の心のようにわかる。人の心の弱さが分かるから、人の心が読めるのだ」
リノはそう言うと、暗い顔をしたまま、部屋へ戻って行った。それは、リノが時折見せる、よそよそしさだった。その振る舞いにはいつも、リノの全てを理解することはできないと思わされた。
しばらくは有利に事を勧められたが、次第に雲行きが怪しくなってきた。松倉が苦戦を強いられ、一向に収拾のつく様子がないことを聞き及んでか、幕府軍が来るという情報が入ったのだ。松倉相手であれば、勝利の見えた矢先だったので、それを知った者は皆明らかに落胆していた。
幕府軍の到着は思ったより早かった。そして、口に出すのがはばかられるほど、松倉の軍とは比べものにならぬくらいに強大だった。
「それにしても、何かおかしい。こちらの動きを全て先読みしているようだ」
益田が不意にそう言った。確かに、いくら幕府軍と言えど、動きが良すぎる。
「内通者がいる、としか思えない」
最後のその言葉に、全身に衝撃が走った。
この中に、裏切り者がいる。
信仰に厚い、この者たちの中に、一体どんな裏切り者が潜んでいると言うのか・・・。
「内通者の身元は」
「分からぬ。だが、すぐに切り捨てるわけにはいかない。きっと何かわけがあるに違いない。忍びの心得のある者に探らせている。判明次第すぐに伝えよう」
もしこの中に本当に裏切り者がいるなら、俺は自分の手で始末したかった。こちらに勝ち目があるなら、その者は裏切る必要がないからだ。それに、幕府軍に内通している者がいると、すぐにわかるほどなのだから、内通者は俺に近い人物の筈だった。それが益田でないとしたら、あとは一人しかいない。俺は、すぐさまリノの部屋へ向かった。
誰もいない部屋へ入ると、いつもの油の匂いがした。それは顔料を溶かすための油の匂いで、初めて会った時からずっとこの匂いがした。
文箱の中を見たが、裏切りの証となるようなものは何も出てこなかった。しかし、畳の縁に頻繁に動かした形跡のあることに気付き畳をずらすと、その下から手紙が何通か出てきた。折り皺からして、矢文のようだ。中身を読むと、それは明らかに、リノと幕府軍が双方やり取りをした内容の文だった。
「何をしている」
後ろでリノの声がした。その気配に気づいてはいたが、そこから動こうという気にはならなかった。
「なぜ裏切った」
「四郎殿、これは裏切りではない。私は一番の策を考え・・・」
「一番の策だと?すでに幕府軍により、我らは食料を調達するのが難しくなっているのだぞ・・?それは、お前のこの手紙のせいではないと言うのか?」
「幕府軍になど、勝てるはずもない。だから、和解を持ちかけたのだ」
「和解だと・・・俺に断りもなく・・・!」
「わかってくれ。お願いだから私の話を聞いてくれ」
「自分たちを苦しめた人間達に、屈しろと言うのか!」
「あなたは言った。何もしないでは神も救ってはくれないと。だが、私は分かったのだ。それがどんなに過酷であろうと、自らの運命は受け入れるべきだ。所詮、人は運命からは逃れられない。それこそが神の教えなのだ。そうでなければ、神を信じ続けることなど出来ない!」
「運命・・・だと・・・?」
「この生の苦しみが私の運命なら、それに従おう。そして、四郎殿は救世主としての運命を全うするだろう。それで我らは皆、救われるのだ」
俺には、リノが何を言っているのか丸で分からなかった。
「幕府は・・・四郎殿が幕府軍へくだるなら咎めはないと言っている。松倉は罰せられ、私たちは助かるのだ。だから・・・」
体中がこわばって、リノの話はもはや耳に入ってこなくなった。
俺が幕府軍にくだる事で、俺たちは助かる。俺たちが助かるのに、俺は幕府軍にくだる。俺は幕府軍にくだったらどうなるのだ?リノの言う”私たち”に”俺”は含まれていないではないか。
そこで俺は、全てを悟った。
俺が死ねば、皆救われる。
最初からそのつもりで、俺を受け入れたのだ。
異質で、信仰を持たない俺を。
何も知らない子羊を生贄として差し出すように、俺を神へ差し出す。それこそが彼らの信仰なのだ。
メサイア!救世主!磔にされたイエスキリストよ!
俺にも、その運命を辿れと言うのか・・・・!!
・・・・・・・
リノの部屋を出て、皆のところへ戻った。リノの裏切りについて知っているのは俺だけの筈だ。
「内通者が誰か分かった」
そう言うと、益田がすかさず俺を制した。
「言葉に気をつけなさい。皆の心を無闇にかき乱すことを言うべきではないぞ」
「もしやあなたは、本当は知っているのではないか?裏切り者が誰なのかを」
「落ち着きなさい。心の弱さは誰にでもある。私にも、お前にも。長く不幸に堪えた者は、勝利を目の前にして必ず臆病になるものだ。だから、誰かの心が弱いからと言って、勝利に怯えて裏切ったからと言って、その者を責め立てることは出来ん。裏切り者が誰であっても、お前は冷静に対処しなくてはならないのだ。デウス様なら、その者をお許しになるはず・・・」
「裏切り者が許されるのだとしたら、その判断を下すのは、神じゃない。この俺だ。彼を許すべきだと言うなら・・・、俺がこの身に代えて許すまでだ」
立て篭っていた城の、無数にある扉を開き、多くの人の視線をくぐり抜け、俺は外へ出た。
「おい!誰か出てきたぞ!」
「構え!!」
発砲する音が聞こえたかと思うと、すぐに衝撃が襲ってきた。だが、予想していたよりもずっと体の痛みは少なかった。地面に倒れこんで目を開けると、俺の体にルウが抱きついていた。
「四郎様・・・」
「・・・ルウ!!」
ルウの体を抱き寄せた後、手のひらを見ると、血で真っ赤に染まっていた。
「撃てー!!」
ルウを抱きしめたまま、次の衝撃が襲ってきた。酷い激痛の果てに体の力が抜けていくのを感じた。
目を閉じた暗闇が次第に明るくなり、体全体が、そして周りの風景が、光に包まれた。
・・・・・・・
四郎は幕府軍の銃撃により亡くなった。ルウも同じ銃撃戦の中で亡くなった。
しかし、その後も戦いは止まず、全滅。天草でも島原でも多くの人が亡くなった。
リノは幕府側について、その後も生き延び、後世に真実を伝える役割を担った。
愛する者を失い、彼は想像以上の耐え難い苦痛を味わうこととなった。そして、全て終わった後に、ようやく自らの罪の重さに気がついた。
皆を死へと導いた罪の十字架を背負い、生き抜くことにしたのだ。
リノの描いた最後の晩餐は、現代もまだこの日本のどこかにあるらしい。
おしまい